カメラの客観性(一応ネタバレ注意)

以前TLがPANの話で盛り上がってたとき、技法としてカメラを意識したものであるのに、
実際アニメを見るときはカメラについて考えないよねえというようなことを思っていた。
注意:以下に『化物語』についてのネタバレあります
そこで見直したくなったのは、『化物語』の「まよいマイマイ」。
原作の小説では、主人公阿良々木暦の一人称から描かれている。そのため、
彼には見えている八九寺真宵戦場ヶ原ひたぎからは見えないという一種の叙述トリックが成立していた。
叙述トリックについては略。
では、これをアニメ化した際にどのような表現がなされていたのか。


意識して見直していて思ったのは、このアニメは同じ画面に二人以上の顔が出ていることが非常に少ないということである。
特に女キャラ二人の顔が一画面に同時に現れることは皆無と言っていい。
それが違和感にならないのはカット数が異常なまでに多いことと、文字演出などで意識を散らされるからですかね。
戦場ヶ原さんが八九寺さんを意識しているか、していないかは画面からはわからんわけです。
アンフェアさはないと言っていいのではないかなあ。原作と同様、ミステリとして見れば叙述トリックとして成立している、多分。


何が言いたいのか、つまりカメラは完全なる客観性のみを持って、画面のみを映すのではない。
(『化物語』では阿良々木さんの視点に寄っている)
ということで、あれ?当たり前のようなよくわからないようなオチになってしまった。